忍者ブログ

カテゴリー別表示

2018/12/11 [PR]
no text
2008/02/23 現舎長が語る山手学舎のボランティア活動!?第65話~69話より
山手学舎物語に出てくるボランティア活動とは? 私が誘われたボランティア活動は、知的障害の子どもと共にキャンプにいくものでしたが、 山手学舎には他にもたくさんのボランティア活動があります
2008/02/27 「最近の若い連中は!」って昔から言われてる(若者の主張)
よく年上の方が、若い人のことをこう言います。 「最近の若い連中は!」 な~んて。 でも知ってました? この「最近の若い連中は!」というフレーズ 実は、3000年以
2008/03/01 『学生時代と私』・・・このお題であなたも考えてみませんか?(若者の主張)
山手学舎物語は日曜日の夜、たぶん夜中、更新予定です。お楽しみに! 今日は久しぶりの休みだったので、パソコンの中身を整理しようと思って触っていると、私の大学の時の資料などがでてきました。
2008/03/04 大学時代と私 【白力勲】編(若者の主張)
大学時代と私の第二弾です。 今日は、物語にも登場する【白力勲】編(私費留学生)をご紹介します。 この文章は、物語から4年後くらいに書かれたものでしょう。 物語の中ではまた片言の日本語
2008/03/07 遂に明かされる『学生時代と私』【田端幸平編】(若者の主張)
遂にあのオ・サールいやラ・サール出身、そして東大生の田端幸平編の登場です。 謎めいたところの多いキャラクターですが、ある意味、めちゃくちゃ面白い大阪人です。 僕は彼を尊敬しているし、彼
2008/03/08 井の中の蛙が大海を知るとき(若者の主張)
今日も休日返上で、お仕事がありました。 それに仕事量も普段の2倍近くで、家に帰ったあとはバタンQ状態(これは死語かもしれませんが・・・) なので更新が遅れてすまった・・・・!?
2008/03/17 現在の山手学舎とは?(若者の主張) 
山手学舎本編は火曜日深夜の予定です。(これまたたぶん・・・) 今日は、この物語とは違う現在の山手学舎を紹介します。 以下の文は、今度、大学4年となる元舎長の文章です。 この文を書

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。



現舎長が語る山手学舎のボランティア活動!?第65話~69話より

山手学舎物語に出てくるボランティア活動とは?


私が誘われたボランティア活動は、知的障害の子どもと共にキャンプにいくものでしたが、

山手学舎には他にもたくさんのボランティア活動があります。海外にボランティアにいく事もあるんです。


今日はその事を紹介すると共に、現大学生&現寮生&現山手学舎舎長がボランティア活動で感じた事を、寄稿してくれたので紹介します。

今の【大学生の本音】、【思い】が語られています。



ちなみに山手学舎物語本編は明日更新予定です!

次回、アルバイトを探す僕に思わぬ誘いが・・・。

どうぞお楽しみに。

以下、現大学生&現寮生&現山手学舎舎長 柴崎雅人氏の寄稿文

-----------------------------------------------------

バングラデシュを振り返って

山手学舎 柴崎雅人


バングラデシュに行く前はただ単に「インドの隣の国」「熱い国」としか思ってなかった。

バングラデシュに行きたかった動機として、現地の人に会って自分の肌で体験してみたいという想いからだった。

というのも、去年の春休みにタイに行った友達から物乞いの話を聞いた。マックで4時間話したけど、ソコから見える街の景色がとてもヘンに思えた。

違和感があった。

「今ここで聞いた話を聞いたままに終わりにしちゃいけない!」と強い想いから発展途上国に行きたかった。ボランティア先で見たポスターがきっかけでバングラデシュに行く事になった。

バングラデシュのダッカ空港に着くと熱気と蚊が「バングラデシュ」を感じさせた。

バスが用意されていて、乗ってみたのはいいものの、ガラスが外れやすく、何よりエンジンうるさい!

ここからバングラデシュの衝撃が始まった。


食事の時は右手で食べる、おしりは左手で拭く、言葉はやっぱり外国語です。


洗濯機なんてもちろんありません。


っていうか、毎晩停電起こるし!


蛇口の水やたら飲んだらお腹やられます。ご飯はおいしい!


けど辛い。おいしいのに、お腹に合わず一週間くだしてました。


守られた空間で快適ではあったけど不満もあった。


なぜか全てがリアルに感じない。バングラデシュという国に来ている日本とあまり変わった気がしない。


泊まっている所も綺麗だし、料理もでてくるし、シャワーもあるしまるで夢の中にいるようだった。


けど、ある日ある時夕暮れのバスの中で考えた。


「夢のように思える今はしかたない。だって初めて来た場所だから戸惑うのもしかない。

ただ、今が夢か現実かは、今じゃなくて日本に帰ってからわかることなんじゃないか?

今も想いを日本でつないでいくことで現実になるんじゃないのか。

夢で終わらないんじゃないか。」って。


そう思うとその時の時間を精一杯生きることが出来た。

バングラデシュでやってきたことは、公立私立の病院、リハビリテーションセンター、麻薬更生所、孤児院、スラム街の学校等の見学、マーケットで買い物、ホームステイ、そして、主にトイレ作りだった。


思いのほか、トイレを作りにいくところにはすでにトイレがあったり、近くにトイレがあったりした。


自分の家族のトイレが欲しい、トイレが満タンになった、などの家にトイレを作りに行った。


もっと貧しいところに必要なのでは?

という意見が話し合いにあったが、貧しいところはトイレを必要としなったり、トイレの重要さを知らなかったりした。


トイレの知識を広めるところから始めないといけないので、大変さ、難しさを痛感した。


3週間という長い時間も素晴らしい経験になった、今になって言えることだか。

キャンプをしている時は悩んで悩んで苦しかった。

なんで悩んでんだろってまた悩んだり。

人と3週間つきあうってことの難しさを初めて知った気がした。

自分の意見ができる歳になってから本音で話しあう、気持ちを共感するってこんなにも難しかったんだ。衝撃でした。

逃げることは簡単だけど、せっかく3週間も一緒だからわかりあいたい思いが強くて、でも相手には迷惑で、自分は仲良くなることを目的に来てて……頭の中でぐるぐる回ってました。


そんな中で仲良く出来た仲間はいて、そいつらと出逢えたことがはっきりこのキャンプで言える良かったことだなぁと思います。


そんな仲間とこれから思い出を創っていくことがこのキャンプを夢で終わらせないことだ、とも考えました。


とにかく考えて考えて考え抜く3週間でしたが、どれもこれも日本じゃ体験できないことだらけで、行って良かったと心から思います。


行きたいかもと思ったら、行った方がいいですよ!




9e4ee9e6.png





 
マーケットで物売りをしている少年です。学校に行かなければならない子どもたちがこの国では働いています。


 720e396d.png








カメラが珍しくて、カメラの前では「撮って、撮って!」とせがみます。



1c83bc62.png






 
この国では星みたいに蛍がいっぱいいます。



7e40b212.png








 
渋滞で止まっている車にも少女が花を売りに来ます。




ba1418ac.png






 
北海道ぐらいの面積に日本の人口がいる国です。




10c04096.png






 
穴を掘ってこのリングを入れ、柵をつければトイレの完成です。



PR


「最近の若い連中は!」って昔から言われてる(若者の主張)

よく年上の方が、若い人のことをこう言います。


「最近の若い連中は!」

な~んて。


でも知ってました?

この「最近の若い連中は!」というフレーズ

実は、3000年以上前の古代ギリシャ世界でもいわれていました。


なんかそれを考えると不思議な感じがします。


それにどれだけ時間が経っても人間って変わらないんだな~と思いました。


年をとっていくと若い人の考えが分からなくなる・・・それは必然なのかもしれません。


そんなこんなで今日は、ある若者の介護体験記を紹介します。

ちょっとでも「最近の若い連中」を知っていきたいものです。

以下、寄稿文

--------------------------------------
20代 男性 showAさん


東京の目黒区で企画された夏体験ボランティア「夏ボラ」に参加して、2回ほどデイケアサービスのお手伝いをさせていただきました。そのときのことを紹介させていただきます。

夏ボラのことを知ったのは、目黒区のボランティアセンターのホームページからでした。

夏休みにいくらか時間ができたので、この時間を利用してボランティアをやってみたいと思った私は、インターネットを使ってボランティアを紹介してくれるサイトを探しているときにボランティアセンターを見つけ、そこで紹介されたボランティアに参加することになりました。

わたしが行った施設は目黒区にある特殊養護老人ホームでした。

その中でデイケアサービスも行っていて、私はそのボランティアに参加しました。

ボランティアは、職員の方に教えていただきながら、実際にデイケアの仕事を体験することが主な内容でした。デイケアの参加者は75歳を超えた方が大半で、一週間のうちどの曜日に来るかということをそれぞれの都合で決めておいて、その曜日にデイケアやってきます。週に5回来る人もいれば、1回という人もいます。

一番多かったのは週2回デイケアに来るという人でした。デイケアの時間は、朝10時半から夕方の4時までの半日ほどです。

昼食とおやつがあり、それぞれの方の健康状態に栄養的(糖分、塩分、calその他)に配慮された食事が用意されます。施設内は空調も整い、騒がしくなく、明るい雰囲気でリラックスしてすごせるようにさまざまな配慮がされていました。

参加者のご家族も安心して半日の間家族を任せることができる環境です。

仕事は、食事の配膳や、参加者の方と一緒にやるゲームの準備などが主な仕事になります。ただそういった仕事はそれほど多くはありません。

それよりも、それらの仕事をしながら、またそれらの間の時間に、参加者の方々と会話をすることがボランティア活動の中心になりました。これは「傾聴」ボランティアというものにあたるそうですが、それほど特別な技術が必要なわけではありません。

普通に話をして、私自身もボランティアというより楽しんで会話させていただいたように思います。

ボランティアは参加するまでは、何か大変なこと、自分ではすることができないような立派なことと感じていました。そんなことはありません。

デイケアセンターの職員の方も、参加者も、もちろん私を含めたボランティアの人も普通の人たちです。

ボランティアということでいつの間にか身構えてしまっていましたが、実際にやってみれば、ボランティアは普通の事です。

むしろ終わってみれば、何かしたというより、ボランティアは楽しいという印象が残っています。

先入観だけで判断するのではなく、実際に参加することでボランティアを知ることができたのは貴重なことでした。

参加することを決めるときには、決断が必要になるかもしれませんが、良い経験ができたと思います。


『学生時代と私』・・・このお題であなたも考えてみませんか?(若者の主張)

山手学舎物語は日曜日の夜、たぶん夜中、更新予定です。お楽しみに!



今日は久しぶりの休みだったので、パソコンの中身を整理しようと思って触っていると、私の大学の時の資料などがでてきました。


ああ大学時代にこんな事考えてたのねって、改めて懐かしく思います。

その資料を一部公開!!

ここでのお題は『学生時代と私』

是非、皆さんもこのお題で自分の事を振り返って見られてはいかが?

-----------------------------------------
「学生時代と私」

「学生時代」それは誰にでも訪れる「時代」であるが、これは勿論永遠に過ごせる「とき」でもない。

十人十色というようにどれだけお互いによく知りあいまた活動し多くを共有することがあっても、「学生時代」というのは個人一人一人に与えられた「とき」である。

学生時代といっても範囲は広い。

小学校・中学校・高校・大学、ある人は専門学校であったり、ある人は大学にいかず社会に出る人も大勢いる。

その中にあって一番、「学生時代」という「とき」を一人で構成して行かねばならないのは「大学生時代」ではないのであろうか。

「大学生」は特異な存在である。

社会に貢献しているわけでもなく、だからといって高校のように多くの拘束があるわけでもないからだ。

「大学生時代」と言われる4年間は自分とは何かを知らず知らず自分で存在を確立していく「とき」であろうと私は考える。

だからといって全てが確立するわけではない。

人生のレジュメともいうべきか。

無論、これは唯の指針に過ぎず、その人生の修正は当たり前のことである。

その「大学生時代」に今まさに身を投じている「私」はどうであるのか。

私にとってのこの大学生という「とき」は非常に大きい位置を占める。

高校までは、大人から言われる事に反発していた自分がいた。

しかし、もう一方では反発していたにも関わらず大人が引いた道を歩いていた自分がいたのである。

所詮は子供というべきか。

けれども、「大学生のとき」は違う。何をやっても良いという事ではないが、「学生だから・・・」という事で許される事はよくある事だ。

これが社会の中で行われた場合を考えると有り得ない事もある。

これは大学生の特権である。

それ故に、この大学生という「とき」を如何に過ごすのかは自分にとって大きい。

私の場合、大学生の「とき」は多くのアルバイトと格闘技、山手学舎で占めてきた。

アルバイトは社会経験と授業料と生活基金、格闘技は趣味、山手学舎はサークル(部活)。

この大学生という「とき」を歩んで私は多くを学び大きい意味で変わった。

私は幼少期・青年期の多くを鹿児島で過ごした。

よく言われたことがある。

それは「鹿児島で育った人間は東京では適応できない」と。

それはなぜか。

それは鹿児島の教育方法に関係する。

一言でいうと管理的な教育である。

なるほど、管理され続けた人間が東京というある意味「無法地帯」に身を投じると自分の存在が見えなくなって押しつぶされてしまうのだ。

事実、私の鹿児島の友達の多くは、東京を去ってしまった。

しかし、この事をネガティブに考える必要はない。

それは鹿児島という処に自分の存在を確信したのであるからである。

これはその人にとってプラスに働いたというべきであろう。

このように学生という「とき」は知らず知らずに自分の人生という指針を創っているのである。

「学生時代」を無駄であると語る人がいる。

しかし、このように考える人もまたその学生時代という「とき」の中で生きそこで、指針を創り、そして後の人生により振り返り「無駄」という修正を行ったのである。

つまり、その「無駄」という事を考える時にその「無駄」という言葉の基礎は「学生時代」そのものである。

なるほど、学生時代を過ごさなければその「無駄」という言葉は生まれないのである。

ともあれ、私がこの「学生時代」に求めたいことは、多くの経験をすることである。

それがこちらから能動的な姿勢になったからといって全てが受けられるわけではないが、受動的であるよりははるかに多くを受け取る事ができる。

これからの多元的な社会において主観的な経験は多くを解決していく上で必要になってくると私は考える。

机上の空論ではあってはならないのである。

それでは解決しないし、人を動かすこともできない。

その上でこの学生時代という「とき」は非常に大切な時期なのである。私はもう少し学生を続ける事になるのだが、この学生時代という「とき」の中で身を投じているうちはできる限り能動的で在り続けたい。

----------------------------------------------

今読んで、しみじみ学生・若者だな~とひと言・・・・・。


大学時代と私 【白力勲】編(若者の主張)

大学時代と私の第二弾です。

今日は、物語にも登場する【白力勲】編(私費留学生)をご紹介します。

この文章は、物語から4年後くらいに書かれたものでしょう。

物語の中ではまた片言の日本語ですが、これから紹介する文は日本人でもなかなか書くことのできない文章です。

留学生にとってホントに訓練の場となっていた大学時代&山手学舎なんですね。


しみじみ思います。


どうぞ皆さんも文章から体感してください。

ちなみ彼は現在ある企業の副社長でばりばりのビジネス戦士です。

以下 文

-------------------------------------------------------

大学時代と私  ----------随筆----------


後半年で社会人になる私にとって、もはや大学時代は完了形である。

振り返れば、苦楽を共にする四年間は短かったような気がするが、社会に対する青年の特有な不安感を抱きながら新たな自分に挑戦しようと、心の中で学校という言葉に終止符を打った。

しかし、学校、寮そしてアルバイトという三位一体の大学生活は私の青春時代のもっとも大切な宝物として一生私に付き添うだろう。

山手学舎との出会いは私の大学生活を大きく変えたに違いない。

留学生の角度から見れば経済的な面だけではなくキリスト教との出会い、また日本人学生との交流は自分にとって何よりの勉強である。

入舎する前に一度も聖書を読んだことのない私も周りの影響を受けて、次第にキリスト教に興味を持つようになってきた。

寮は決して宗教的色彩が濃厚ではないが、寮生の中で敬虔なキリスト教信者がいて、彼らからかつて感じたことのない寛容な優しさに魅了されたかもしれない。

山手学舎は自治寮であるが、私はそれに誇りを持っている。

なぜならば学舎の人間が他の寮生より逞しく生きているからだ。まるで小さな社会のように舎生一人一人歯車になって、役割分担で学舎を支えている。

この四年間で先輩を送り、後輩を迎え、合わせて二十何名の学生と共同生活してきたが、私はその中の三分の二の人と喧嘩したことがある。

せっかちで冷静ではない性格のせいかもしれないが、合う人でも合わない人でも心で付き合っていたと思う。そして人間関係に対して自分なりにまとめた座右の銘がある。

「人と心で付き合い、人をなめたり、憎んだりしてはいけない」、これからもそういうふうに生きてゆこうと思う。

山手学舎あっての大学時代といっても過言ではないが、その貴重な寮生活も私の生涯に大きな影響を与えるだろう。

大学時代を反省してみれば、学業に全力を尽くさなかったことをすこし後悔している。

確かに法律の勉強は大変で自分に向いていないとあきらめたところがあったが、自分の興味を持つ金融分野についてもあまり力を入れなかった。

サークル活動などで楽しかったが、もともと世渡りの不器用な方で、大学で友達といえる日本人の学生が二人しかいなかった。

結構学校をサボって十分な交流を行わなかったか、共通の話題が少なかったのか、自分でも原因ははっきりわからなかった。

大学で勉強はすべてでないことを身で感じていた私はさまざまな人と出会い、さまざまな刺激を受けてきた。

他人の生き生きとした成長ぶりを見て、自分があわてて成長しようとする姿もあった。

私はいまも学生から社会人になる前の最終段階で社会に適応するため新しい自分を作り出そうという努力を続けているが、十年、二十年後自分の人生にとって大学時代はまた深い意味があると信じている。


遂に明かされる『学生時代と私』【田端幸平編】(若者の主張)

遂にあのオ・サールいやラ・サール出身、そして東大生の田端幸平編の登場です。


謎めいたところの多いキャラクターですが、ある意味、めちゃくちゃ面白い大阪人です。

僕は彼を尊敬しているし、彼の鋭さと冷静さにはいつも助けられていました。特にあの戦いのときは・・・。


それではどうぞ存分に田端ワールドをお楽しみください。

---------------------------------------------

大学は現在、継続中なので高校時代を振り返ってみる。

私は鹿児島市にあるラ・サッール高校に進学し寮、下宿生活をすることになったが、主だったものとしては桜島の火山と台風が有るくらいで、むしろ無いものの方が多かった気がする。

学校にクーラーはなく夏は寝汗に苦しんだ。テレビ、ゲーム等は禁止されており皆、漫画に精を出した。

近くに繁華街はなく、路面電車で一時間ほどかかるため平日は誰も行かない、いや行けない。

学校から見える桜島から煙が噴いてる光景には確かに感動した。

季節風にのってやってくる火山灰が私のCDラジカセを亡き者にしてくれはしたが・・・。

そんなわけで部活動をする者は結構多かった。

私は器械体操に興味があったが部員も設備もほぼ無かったので、寮の同部屋の人間に誘われ山岳部に入部。

「自然も好きだし」程度で入ったが、自然は想像以上に厳しかった。

元々体力もなかったが、合宿では食糧やテントなどが入った20kg程のリュックを背負って歩く、休む、たまにこける、の三行程をひたすら繰り返す。

合宿中はほとんど着替えず、頭が痒くなってきて体が臭みを増す。

不思議なことに痒みはしばらくしたら消える。

単に慣れてくるだけだろうが・・・。

合宿の終盤にもなってくると疲労と空腹でもう目的地のことしか考えられない。

あと何kmだろうか、とかあと何時間耐えればいい、とか。

そのうち何で山岳部に入ったんだっけ、とかまで考えるようになる。

無論、良かったところも多く山頂からの景色、それによる達成感は何物にも代え難い。

また、山で協力できなければ死を意味するので協調性はいやでも身についた。

ただ、普段の練習は走ることと筋トレのみなのでそれは非常に味気なかった。
山岳部の人気が無い要因の一つだろう。

話は一年生時の寮に移る。

私が入った寮は松風寮といい校内にある。

寮は全員6人部屋で2段ベッドが三つ、個人ロッカーがあり、要するに寝室だ。

それが10部屋ほどで総勢約60人が収容されている。

朝は7時半に起床、館内放送により皆、部屋から這い出し廊下に整列。

舎監の点呼に元気良く返事し、ぞろぞろと食堂へ。私は食った後、二度寝するのが常で8時25分に慌てて教室のある隣の建物に走っていく日々を送っていた。

授業を終えて部活のランニングを終える頃には夕飯時、再び食堂へ。

暫しの休息の後、午後8時~23時30分まで自習室たる勉強部屋で義務自習を課せられる。

その間舎監が見廻り、漫画を読む者は容赦なく没収された。

24時強制的にブレーカーダウン。

寝室から灯が消える。

大抵の寮生はあきらめてブレイクダウンするのだが、夜に活性化される者もいる。

外で発見された場合、全員の存在を確認するため夜中に点呼、全員が廊下に立たされる。

真面目な人間からすれば迷惑な話だが、2ヶ月に1度くらいあった。

怪しい者は翌日、礼拝堂にて校長と面談をする(学校は一応カトリックだったので金曜の放課後にはミサがあった)。

私も点呼時、トイレにいたため面談をしたが、辻褄の合わぬ者は長時間の詰問を余儀なくされたらしい。

洗濯は寮のおばちゃんがしてくれ、食事は三度出る。

大金は寮の事務室が預かり、銀行の役割を果たした。

そんなわけで生活する上では校外に出る必要は全くなく、一年間校外に全く出ず社会復帰に苦戦した者もいるくらいだ。

しかし、一年間で団体生活は終わり皆、個室の寮か下宿へと巣立っていく。

長々と書いてしまったが、このような生活を通して一つわかったことは、環境の価値は出たあとに実感できる、ということである。

私も入寮当初はまるで監獄だ、とも思ったし実際途中で寮を出てしまった者もいた。

団体生活、管理生活でできないことも多々あっただろうが、出た後にはそれと同じだけ得たものを実感することができた。

健康の有り難味を病気になったときに初めて実感するのに少し似ているのかもしれない。

その意味では今、住む学舎の価値を今全て語ることはできないだろう。


井の中の蛙が大海を知るとき(若者の主張)

今日も休日返上で、お仕事がありました。

それに仕事量も普段の2倍近くで、家に帰ったあとはバタンQ状態(これは死語かもしれませんが・・・)

なので更新が遅れてすまった・・・・!?


ちなみに本編は日曜日の深夜更新です。たぶん・・・。


今日は、現寮生から寄稿文が届いたので紹介します。

これは前年の舎長だった学生が書いています。

【山手学舎OB会や後援会の援助】などもあり、現寮生の海外研修が実現しています。


以下、 寄稿文
-----------------------------------------------------

山手学舎元舎長  松尾 毅


第17回アジア太平洋YMCA大会に参加して

9月4日~9月10日にタイのチェンマイで開催された第17回アジア太平洋YMCA大会に、東京YMCAから、松尾毅(新4年生)、夏目亘(新2年生)、の両名で参加致しました。

今回の大会は、「Strengthening Spirituality,Solidality,Sustainability(スピリアリティとYMCA運動の結束を強め、持続的な発展を目指す)」をテーマとしていました。

このテーマのもと、参加者同士が分かち合い、経験する場を提供し、国から地域、グローバルなレベルに至るまで、社会・文化・地球環境が急激に変化しつつある中、私たちがいかにしてこのコンテキストに共通する諸問題に取り組んでいくのかを共に考えることを目的としていました。

タイに到着しまず感じたこととして、町の雰囲気がどことなく日本と似ているという印象を受けました。

日本製の自動車やバイクが街を行き交い、瓦屋根の家々が立ち並んでいました。

また、印象に残ったことの一つとして、タイ国王の肖像画が町のいたるところにありました。タイ国王がタイの国民と密接な関わりをみせている象徴的な一面でした。

大会を通して、他国のYMCAの人との交流をするためのツールとしては英語を用いました。外国人と英語で交流したことがなく、また英語で話すことに恥ずかしさを感じていた私としては大変困難な作業でした。

しかし、日にちが経つにつれて恥ずかしさも消え、相手もわかりやすい英語で話してくれたので徐々にコミュニケーションできるようになってきました。

各国のYMCAの人々とはディスカッションやお互いの考えを共有しあったり、各国の文化を紹介しあったりしました。

グループごとに分かれて現場研修にも行きました。

私は、タイ郊外にあるYMCAの支援するパヤオセンターという所に行きました。

そこでは性的搾取及び人身売買から子ども達を守り、パヤオセンター及び地域の学校における活動を通して、子どもの生活の向上を目指しています。

センターに到着してからは、子ども達の劇を通して人身売買の現状を知りました。日本にもいるような普通の女の子が、人身売買という危険に晒されているという事実には大変胸が痛みました。

今回の大会で自分自身一番感じたこととしては、各国にある様々な現象を自分で聞いたり、感じたりしたことは、今まで自分が参考書や教科書や新聞、インターネットなどから得られたことよりも大変貴重な情報だということです。

このような情報は、自分で経験して初めて得られるものだと思います。私のできることは小さなことかもしれませんが、今回得た経験を少しでも多くの人に伝え、より実りある物へとしていけるよう努めたいです。

869380d9.png





↑右が寄稿者


--------------------------------

学生の頃って色んな経験を積んだ方が絶対にいいと私は思っています。

私の時代にはあまりなかったのですが、今の学舎は海外研修にいける機会が多々あるようです。

しかも格安で。

上記の文章からも井の中の蛙だった舎生たちが、大海を知った事が伺えます。

いいですね~青春だな~!


現在の山手学舎とは?(若者の主張) 

山手学舎本編は火曜日深夜の予定です。(これまたたぶん・・・)


今日は、この物語とは違う現在の山手学舎を紹介します。

以下の文は、今度、大学4年となる元舎長の文章です。

この文を書いた時はまだ3年生のときでした。

前の学舎と現在の学舎がBefore Afterってな感じで読み取れるのではないでしょうか(笑

以下、文
--------------------------

「私と山手学舎」
3年 松尾 毅

私が山手学舎の出会いは遡ること6年前に戻ります。


6年前私が山手学舎に来た時は、兄の大学の入学式があり、そのついでに入舎が決まった山手学舎に家族皆で見学に来ました。


その当時の山手学舎は今と比べると、壁や床が薄汚れていて、ところどころ痛みが激しく、独特な男臭さが漂い、いかにも男の寮だなという印象を受けました。


その当時と比べて、今の山手学舎はOBや山手学舎に関わる様々なかたがたのご支援のおかげで談話室の壁や廊下は綺麗になり、

各部屋にはエアコンが付き、お風呂も全自動で使いやすくなり、

その当時とは比べ物にならないぐらい綺麗で快適で住みやすくなりました。


また、その当時居た人は今はもう誰もいません。


学舎はもうすっかり変わってしまいました。


ただし、その当時感じた「何か」は今でも山手学舎に息づいていると思います。


そのとき感じた「何か」は、独特の男臭さや舎生同士の家族のような仲の良さ、他者を暖かく迎える雰囲気など、

挙げていったらきりがないぐらい様々で私自身もその「何か」は特定できませんがその「何か」は確実に息づいていると思います。


あえてその「何か」はどんなものかというと、私個人の意見では学舎を通した出会い、学舎の舎生間の家族のような仲の良さではないでしょうか。


学舎を通した出会いとしては、全国や海外から集まる舎生、学舎のOB、スタッフの方々、ボランティアリーダー達や子供たち、学舎を支援して下さる方々など、老若男女様々な年代の人たちと交流できます。


また、血の繋がりがない他人同士であるにもかかわらず衣食住を共にし、また二人部屋であるということもあり学舎の舎生同士には友達関係とは違った家族に近いような関係があります。


表面的に仲が良い馴れ合いの関係ではなく、時には普段の生活で規律を守るためにお互いに厳しく注意しあい、舎生懇談会では激しい議論を展開したりします。


このような経験は実家暮らしや一人暮らしをしているだけでは味わえないものだと思います。


私個人としては、特に最近では、舎生懇談会が大変興味深いものだと感じるようになってきました。


一年生の時には苦痛に感じるようなことも度々ありましたが、舎長という責任ある立場になるにつれて自分自身の意識が次第に変わってきました。


舎長として舎生懇談会に臨む際は私情を挟まずなおかつ舎生のことを考え議論を進めて行くことが大変プレッシャーのかかることであると同時に、勉強になります。また大変やりがいのあるものだと思います。


このように、山手学舎に入舎してから私は様々な経験し成長できたと思います。


私がしてきたような経験をこの後に繋がる舎生に少しでも伝えていければなと思います。